吉川ひなの親が衝撃?生い立ちや家族関係が複雑な件

90年代を代表するモデルの一人であり、若い世代から絶大な人気を誇っていた吉川ひなの。

JR東日本やグリコなど数々の有名企業のCMに出演し、その年のCM女王になるなど、当時はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していました。

 

19歳のころに、ビジュアル系バンド「SHAZNA」のボーカル、IZAMと結婚し、わずか7か月後に離婚した「ままごと婚」で、お騒がせタレントとしての印象が強い方もいるかもしれません。

 

現在は家族とハワイで生活しており、テレビへの露出はほとんどありません。

しかし最近出版したエッセイ本『わたしが幸せになるまで』の内容が衝撃的と話題となり、再び注目を集めています。

今回は、本に綴られた彼女の壮絶な生い立ちや、家族についてまとめました。

吉川ひなの生い立ちが壮絶

人形のような小顔に日本人離れしたプロポーションで、デビュー直後からたちまちトップモデルの一員となった吉川ひなの。

完璧な美貌に恵まれている彼女は、まさに芸能人になるべくしてなった人物。

 

若いころから華々しい世界で成功し、大きな苦労などもなく、幸せな人生を歩んできたかのようにも見えますが、実は壮絶な生い立ちだったんです。

デビュー直後から注目の存在に

吉川ひなのは小学6年生のころに、銀座でショッピング中にスカウトされました。

特にモデルとしての下積みをすることなく、デビューしてすぐに大手百貨店である伊勢丹の広告に起用されます。

当時はまだ12歳で幼い顔立ちでしたが、まるで海外モデルのようなオーラを放っており、「この美少女は一体だれなのか?」と瞬く間に注目の的となりました。

 

この広告が話題となったことがきっかけで、モデル業ではパリコレにも出演、他にも女優やタレント活動、歌手デビューなど、活躍の場を勢いよく広げていきます。

まさに順風満帆で誰もが羨む存在となったのです。

 

しかし、そんな輝かしく思える時代を「10代、20代のころは何気ない日常の中で幸せを噛みしめたことは一度もなかった」と話しています。

キラキラした表舞台の裏は多忙に極め、寝る時間も充分にとれず、自分のやりたいことをする時間もなく、仕事を選ぶ権利もない。

大人たちが勝手に決めてきた様々な仕事を、精神を削りながらこなしていたのでした。

吉川ひなのは幼少期、貧乏生活だった

もともと吉川ひなのが幼少期を過ごしていた家庭は、家の電気が止まったり、給食費を払えなかったりと、金銭的に苦しい生活を送っていました。

両親に給料を管理されていた

吉川ひなのが芸能界デビューし、多くの収入を得るようになってからは、彼女の収入を両親が管理するようになります。

彼女は当時まだ10代だったので、親がお金の管理をすること自体は何も問題に感じませんよね。

しかし驚くべきことに、吉川ひなのは自分で稼いだ給料の額を知らされず、そのお金を勝手に両親に使われてしまっていたのです。

 

両親は豪邸を借り、彼女の給料を浪費しました。

吉川ひなのはそんな両親に、「芸能活動を長く続けられないと思うから、貯金だけはしておいてほしい」とずっと頼み続けていました。

お金を無心し続ける毒親

遂に、忙しく自由のない毎日に心が折れてしまい、仕事に行けなくなってしまいます。

そして両親もとへ出向き、「他の仕事が見つかるまでの間の生活費として、今まで稼いできた貯金を分けてほしい」と頼みました。

渋々渡された通帳には、両親が住む豪邸の家賃1か月分にも満たないほどの残高しか残っていませんでした。

 

両親の性格から考えると、「あまり貯金はできていないだろう」と覚悟していた部分はあったそうですが、想像していた以上に少なかった残高に愕然としたといいます。

そして、彼女がこれまで通りに仕事ができないと知った両親は、彼女の体調ではなくお金の心配をしていました。

 

その後、彼女が最低限の給料しかもらえない状況になっても、両親は経済的に依存し、生活費を請求し続けました。

 

子どもが悩んでいたり苦しい思いをしているときに、親は寄り添ってくれる存在であるべきだと思います。

心身共に弱って働けなくなってしまった子供に対して、お金を無心し続ける吉川ひなのの両親のことは毒親と呼んでいいでしょう。

 

幼少期は貧しい家庭のもとで苦労してきましたが、芸能界に入り大金を稼いでも尚、辛く孤独な時期を過ごしていたことがわかりました。

エッセイ本でこれらの過去が明かされ、テレビや雑誌で見ていた姿とのギャップがあまりにも大きく、たくさんの人が彼女の生い立ちに衝撃を受けました。

吉川ひなの父親

吉川ひなのは父親の仕事について、「人間国宝の画家」や「吟遊詩吟」とテレビなどで答えていました。

 

彼女が活躍していた当時はまだSNSは普及されておらず、テレビや雑誌で発言する彼女の言葉でしか家族について知る術はありません。

本当に人間国宝に選ばれるほどの人物であれば、今やネットですぐに情報がでてくるはずですが、残念ながらそういった人物は見つかりませんでした。

父親とのエピソード

エッセイ本に、父親とのある日の出来事が綴られています。

 

吉川ひなのが20歳の頃、一人暮らしをする彼女の家を父親が訪ねてきました。

この頃には自分に給料が振り込まれるようにしていたため、彼女が両親に毎月の生活費を渡していました。

しかし両親はその月の生活費を使い切ったため、お金をもらってくるように母親に指示された父親が訪ねてきたのです。

 

次のお給料までお金がないことを伝えても、父親は帰ろうとしませんでした。

そして驚くことに、家にある貯金箱を見ると、「じゃあ、それ、いい?」と言われます。

さすがに貯金箱を持って行かれるとは思っていなかった吉川ひなのは、感情的になって号泣しますが、父親は何も言わずに貯金箱を持ち去って行ってしまいました。

 

偶然にもその日は、吉川ひなのの成人式の日でもありましたが、父親は把握しておらず、知っても尚無関心だったそうです。

 

子どものことをお金としか見ていないことがはっきりとわかり、胸が苦しくなるエピソードですよね。

話を聞く限り、とてもまともに働いている様子は感じられません。

こうした父親の存在は、当時まだ若く多感な時期を過ごしていた吉川ひなのにとっては、大きなストレスになっていたでしょう。

吉川ひなの母親

父親と同様に、吉川ひなのを搾取し続けた母親はどのような人だったのでしょうか。

母親とのエピソード

金銭的に苦しかった幼少期は、借金取りが家にくることもあったそうです。

そのたびに、「お母さんは帰ってきてないと言って!」と母親に言われ、伝えることが吉川ひなのの役割でした。

しかし、借金取りからは「お母さんが家にいることはわかっているから、出てくるまで待っている」と言われ、母親と借金取りの板挟みになってしまい、学校へ行けない日もあったと言います。

 

母親に不満をぶつけると「うちより変な家なんてたくさんあって、うちはすごくまともだ!」と怒鳴られて、そのたびに我慢を強いられてきたといいます。

子どもながらに、当時の状況が普通ではないとわかっていましたが、「うちのことは外で絶対に話しちゃいけない」と口止めをされていたことを、健気にずっと守っていました。

 

子どもにとって母親は絶対的存在でもあります。

19歳の頃に結婚を決め、早々に離婚している理由も、母親や父親から優しさや安らぎを与えられないまま成長してしまった背景が関係しているように思えてなりません。

 

しかし母親について、「母親の育った環境にも大きな問題があったり、子供時代に負った深い傷を癒せないまま時間が過ぎてしまって、母親なりに一生懸命生きていたんだと思う」と話しており、悪く思うばかりではなかったそうです。

こうした考えに落ち着くまでは様々な葛藤もあったと思いますが、ここまで母親を思いやることができることに驚かされますね。

吉川ひなの兄

兄の名前は一也さんといい、新宿にある「TREGIS(トレジス)」というジムでパーソナルトレーナーとして働いています。

年齢は吉川ひなのと10歳差で現在51歳です。

一也さんもまたハーフのような整った顔立ちで、日ごろから鍛えているためかとても若々しい印象を持ちます。

元ビジュアル系バンドのボーカル

もともとは身体が細く病弱で、医者から運動を止められるほどだった一也さん。

そんな病弱なルックスを活かして、「Die:SEXION(ディセクション)」というビジュアル系バンドのボーカルをしていた時代もありました。

 

吉川ひなのの最初の結婚相手であるIZAMとは、バンドの繋がりで一也さんのほうが先に知り合っていました。

このことが吉川ひなのとIZAMの、出会いのきっかけになったとも言われています。

 

一也さんは吉川ひなののSNSにも登場し、自身もSNSでの発信や、本の出版もしていることから、人々の目に触れる存在でもあります。

過去には兄妹でサプリメントを共同開発し、ビジネスパートナーだった時期もありました。

両親のエピソードは壮絶ですが、兄妹仲はとても良かったように感じますね。

吉川ひなの妹

吉川ひなのには、麗さんという妹がいます。

ネットや地元の人の話によると、吉川ひなのと麗さんは双子という情報もあります。

双子と言う情報が確かなものであれば、現在麗さんも41歳ということになりますね。

 

麗さんが作ったお菓子の写真を、吉川ひなのがSNSにアップするなどして、前々から妹の存在は明かされていました。

麗さんが作ったお菓子のクオリティが高いことから、「妹はパティシエではないか」と噂されています。

 

一般人のため顔出しはしておらず、吉川ひなのも麗さんについて詳しく触れたことはありませんが、大人になってからも交流があり姉妹仲も良好のようです。

吉川ひなのがハーフではなくクォーターと公表した理由

吉川ひなのはずっとハーフ疑惑がもたれていましたが、本人は「ハーフではなく純日本人」とテレビなどで公言していました。

それでも尚、ハーフではないかという噂はついて回っていました。

特に、「母親がフィリピン人で、吉川ひなのはフィリピンとのハーフではないか?」という声が多くありました。

エッセイ本でクォーターであることが明かされる

しかし、2015年に出版されたエッセイ本『ずっと途中』で、「祖父がネイティブアメリカンとフレンチのハーフ」と書かれていたことから、彼女はクォーターであることが明かされました。

 

なぜ、これまで純日本人と偽っていたかと言うと、「当時は事務所から、出生について秘密にするように言われていた」ためだったと本に綴られています。

事務所によって、クォーターということを口止めされていたということです。

 

口止めされていて窮屈な思いを募らせてきましたが、クォーターであることを公表することができ、「やっと言うことができて、本当の自分を取り戻せたような気持ち」と話しています。

 

また、兄の一也さんも自身のSNSでクォーターであることを公表していますが、「昔はクォーターという言葉も好きではなかった」と話しています。

 

今はハーフやクォーターは珍しい存在ではありませんが、昔はとても目立ち、そのことからいじめをうけていたそうです。

周りから見ると整った顔立ちが羨ましく感じますが、当事者にしかわからない悩みも多く、クォーターであることを公表するまでに時間が必要だったようです。

吉川ひなのの家族構成

吉川ひなのの家族構成は、両親と4人の兄妹からなる6人家族です。

  • 父親
  • 母親
  • 兄(一也さん)
  • 姉(舞さん)
  • ひなの(本名:愛)
  • 妹(麗さん)

姉の舞さんはこれまで、吉川ひなののSNSなどに登場することは全くありませんでした。

年齢としては40~50代ですが、一般人であるため情報はほとんどありません。

そして現在、親とは交流があるといいます。

一時期は絶縁状態にありましたが、「ひどいことをしてきた親のほうが、結果的にはつらいだろう」という理由で、過去のことは許しているようです。

 

吉川ひなのの器の広さに驚きましたが、過去を許すことができるほど、今を幸せに生きているということでしょう。

吉川ひなのの現在

吉川ひなのは2011年に会社経営者の男性と再婚し、第一子を出産後にハワイに移り住んでいます。

今では3人の子供に恵まれて家族5人で生活し、自給自足に近いスローライフを送っています。

彼女のSNSには、ハワイの豊かな自然の中で暮らす家族の写真が投稿され、幸せなライフスタイルと、年を重ねても変わらない吉川ひなの美貌に、再び人々の憧れの的となりました。

若いころは、日本で自由がなく辛い経験をたくさんしてきた分、これからは自分らしく穏やかに暮らしていける人生を歩んでいってほしいですね。

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