生い立ちが壮絶・複雑な芸能人20選まとめ

東山紀之

ジャニーズ事務所の東山紀之は、2010年に女優の木村佳乃と結婚、2人の娘にも恵まれました。アイドル時代から東山紀之は、さわやかな端正なマスクにクールな立ち居振る舞いで人気者。

そんな東山紀之ですが、2010年出版の自叙伝「カワサキキッド」で壮絶な過去を書いています。東山紀之の両親は父親のギャンブル癖が原因で、彼が3歳の時に離婚、母親に引き取られました。

母親との生活は裕福ではなかったそうで、東山紀之は神奈川県川崎市で少年時代を過ごしています。光化学スモッグ、コリアン・タウン、ソープランド、競馬場等の少年時代の東山紀之の川崎体験。理容師の母を狭いアパートで妹と待つ東山紀之には、近所に住む祖父の世話の役目もあったそう。

小学6年生の時、直接ジャニー喜多川にスカウトされ、東山紀之の人生は激変し今に至っています。

GACKT

シンガーソングライター・役者・実業家のGACKTは、とてもセレブのイメージのある人です。2021年2月現在、GACKTはマレーシアの首都クアラルンプールの豪邸に住んでいます。

GACKTは沖縄出身ですが、両親が離婚したので母親方の滋賀県に移住しそこで育ちました。そんなGACKTの幼少期の様子については、本人の著書「自白」に日記風に書かれていました。

幼い頃に海で溺れたことで臨死体験をした結果、GACKTは霊感が強くなりすぎたそうです。そのせいで他の人には見えないものが見えると話した結果、精神病棟に収監された事もあるそう。

鉄格子のついた隔離された小児病棟から早く退院する為、もう何も見えないと嘘をついたそうです。

中居正広

国民的人気グループ、ジャニーズの元メンバーで人気者の中居正広も、少年時代は貧しかったそう。

神奈川県藤沢市出身の中居正広が生まれ育った家は、4畳と3畳半くらいで3兄弟の彼は末っ子。5人家族の中居正広の実家は裕福ではなく、お風呂は週に2回しか入らせてもらえなかったそう。「バームクーヘンは友達の家でしか食べたことがない」、「吉野家にも行けなかった」。「カルビはお菓子のことだと勘違いしていた」などの、少年時代のエピソードを披露しています。

そんな中居正広が小学校3年の時に両親が離婚、中学の時には少し道を外しそうになりました。同じ中学にジャニーズの子がいたから、友人と一緒に応募したのがジャニーズ入所の動機だそう。

現在も離婚した両親と中居正広は仲が良く、有名になった後、別々に家を一軒プレゼントしてます。

風間トオル

モデル時代はそんなイメージのなかった、壮絶な幼少期を過ごしてきたことで有名な風間トオル。

5歳の頃に両親は離婚し、風間トオルは父親に引き取られますが、父親は蒸発してしましました。働き手だった父親の蒸発により、幼い風間トオルは祖父母と暮らしますが生活は困窮。

祖父は認知症、祖母はギャンブル好きの為、食うものにも困り道端の草を食した事もあったよう。祖父母の家には風呂がなかったため、動いている洗濯機に服を着たまま入ったとも述べています。

そんな風間トオルは1983年、ファション誌「メンズノンノ」で読者モデルに選ばれ人生が一変。イケメン正統派モデルとして注目され、その後は俳優デビューを果たし現在に至っております。

内田有紀

東京でも高級住宅街で知られる渋谷区広尾の、裕福な家庭で内田有紀は幼少時代を過ごしました。

両親は夫婦仲が悪く喧嘩が絶えず、内田有紀が小学校2年生の時に離婚、親権を巡る争いが起きます。その結果、内田有紀は父親に引き取られますが、父親の再婚後に家出し母親の元に行きました。

そんな内田有紀の後の芸能界デビューのきっかけになったのは、小学校6年の頃。母親がモデルのスカウトを受け、その撮影についていった所を、内田有紀はスカウトされています。

母親と暮らしていた内田有紀でしたが、母親も再婚した為、今度は祖父母に預けられました。中学2年からモデルとして活動を開始した内田有紀は、高校に入学すると祖父母の家を出ています。自活しながら高校生活を送っていた内田有紀はその後、女優・歌手デビューし大人気になりました。

YOSHIKI

X JAPANのYOSHIKIは千葉県館山市出身で、実家は老舗呉服店を営む裕福な家庭で生まれています。

そんなYOSHIKIでしたが、幼少期は病弱でかなり重い小児喘息を患っていたそうです。小学校の中頃までは入退院を繰り返し、外で遊ぶことも思うようにできなかったとか。

YOSHIKIは4歳の時に父親からピアノを買い与えられ、ピアノ教室に通い始めました。父親の好んでいたクラシックレコードも、YOSHIKIは好んで聴き幼少時に音楽に目覚めています。

YOSHIKIに音楽の楽しさを教えてくれた父親が、YOSHIKIが10歳の頃、突然自殺により他界。車の中に排ガスを送り込む一酸化中毒だったそうですが、自殺の理由はわからなかったようです。YOSHIKIは父親の死因が自殺であることを、中学生になり初めて知りショックを受けたそう。

TAKURO

GLAYのリーダー、ギタリスト・キーボーディスト、会社経営者のTAKUROも生い立ちは複雑です。

シャンソン歌手の母親の影響で音楽に興味を持ったTAKUROが3歳の時、父親が交通事故で死亡。自身のエッセイ「胸懐」では、不可抗力がないことから事故ではなく自殺だったと示唆しています。

保険外交員で家計を支えた母親と、姉とTAKUROの3人の暮らしぶりは楽ではなかったそうです。ラジカセでオンエアを楽しみにしていた時、電気代支払い滞納の為、電気が止まってしまった。家中の引き出しや家電製品をひっくり返し電池を集め、ラジカセのオンエアを録音したそうです。

そんなTAKUROの母親は、悪徳商法まがいの宗教にはまってしまい借金を積み重ね続けました。母親のその借金はTAKUROが肩代わりして、GLAYの楽曲の印税で完済したそうです。

浜田雅功

お笑いコンビ「ダウンタウン」の浜田雅功は、歌手としてNHK紅白歌合戦にも出演しています。

ペンキ塗りの浜田雅功の父親は、友人の借金の連帯保証人となりますが、そのまま友人が逃走。借金先が危ない人達だったため、取り立てに来るどころか拉致監禁されたという話もあります。そのため一家の住まいは、かなりの貧乏アパートで、上の階の床が抜けた事もあったそう。

浜田雅功はよほどの親友でない限り自宅に招待しなかったと、相方の松本人志が暴露しています。

成長した浜田雅功が進学した日生学園第二高等学校は、今では考えられないほどのスパルタ高校。この過酷な高校で3年間、寮生活をした浜田雅功は、最後には副寮長にまで出世したそうです。

ローラ

2021年2月現在、アメリカはロサンゼルスを拠点に活動するタレント・モデル・歌手のローラ。明るくハッピーで無邪気なキャラクターのローラですが、その生い立ちは壮絶なものです。

ローラはバングラデシュ人の父親、日本人4/3、ロシア人4/1のクゥオーターの母親から誕生。東京で生まれますがローラが1歳のときに両親が離婚し、父親のバングラデッシュに移住しました。ローラは6歳までバングラデシュで生活し、父親は中国人女性と再婚して家族は日本に移住します。

父親と双子の弟、父親と継母の間に生まれた双子の兄弟、継母と継母の父母の合計8人との生活。東京の木造アパートでローラは、子供ながら大家族の中、小さなお母さん役もこなしていたそう。

芸能人としてブレイクした後もローラの壮絶な人生は変わらず、2013年に父親が国際指名手配。容疑は国民健康保険の海外療養費の不正受給で、父親は二度逮捕されローラが謝罪しています。

綾野剛

どこか影のあるオーラで色々なキャラを演じ、人気の綾野剛も壮絶な過去を持つ俳優です。岐阜県生まれの綾野剛は共働きの両親の元に生まれ、幼少期から一人で過ごす事が多かったそう。兄弟のいない一人っ子の綾野剛は、幼稚園の頃から託児所に預けられ孤独だったそうです。

母親はスナック経営、父親も洋服の卸売り業を営んでいましたが、業績は思わしくなかったそう。綾野剛が高校生の頃に、その父親の会社が倒産、借金もあったために自宅が差し押さえられました。

そして両親は離婚し、母親に引き取られた綾野剛は大学進学せず、2人で東京に引っ越します。綾野剛自身は目的もなく上京しているので、友人知人もいない東京で二十歳頃は孤独だったそう。

芸能界で成功した綾野剛は、尊敬する母親が喜んでくれているのが一番嬉しいと述べています。

川嶋あい

I WiSHのボーカルとしてデビューを果たし、現在はソロのシンガーソングライターの川嶋あい。

川嶋あいは、父親が生まれてすぐに行方不明となり、母親も体調を崩し病気により他界しています。天涯孤独となった川嶋あいは乳児院に預けられ、後に児童養護施設に移りました。

そんな幼い川嶋あいが自分の両親だと思っていたのが、後に養子として迎え入れてくれた養父母。何度も会いに来てくれるこの養父母が、自分の両親でいつか迎えに来てくれると思ったそうです。

実の両親と思い健やかに育った川嶋あいが、血のつながりがないことを知るのは12歳の時。偶然、金庫の中にあった書類を見て自分が里子だと知りますが、川嶋あいは受け入れています。ところがその素晴らしい養父母も、川嶋あいが歌手デビューする前に亡くなってしまいました。

はるな愛

いつも笑顔で元気で女性より女性らしいと、ニューハーフタレントとしてブレイクしたはるな愛。

はるな愛は、同じ大阪の市営住宅に入居したことが縁で結婚した両親の元に生まれています。母親は事務員、パチンコ店店員、飲食店店員などをしており、父親は長距離トラックの運転手。そんな父親はその後、お好み焼き屋の経営を開始しますがギャンブル好きで借金が多かったそう。

母親の姉はストリッパーで、はるな愛は幼少時はストリップ劇場の楽屋に出入りしていたそうです。幼いはるな愛はその楽屋でワクワクし、将来は自分もストリッパーになりたいと思っていたそう。

物心ついたときから自分は女の子だと感じ、女の子の服を着て、女の子とままごとを始めました。そんなはるな愛ですから、中学生時代には壮絶ないじめの対象になっていたそうです。

広瀬すず

人気の女優・ファッションモデルの広瀬すずは、その爽やかなルックルと違い生い立ちは壮絶です。

看板屋の自営業をやっていた大黒柱の父親が、広瀬すずが12歳の時に脳卒中で倒れてしまいました。父親は一命はとりとめたものの、後遺症が残ってしまい仕事ができなくなり看板屋を閉鎖。借金を背負ってしまった広瀬一家は、祖父から引き継いだ土地も家も手放すことになりました。

姉がモデルをつとめていた女性雑誌「seventeen」のイベントに、広瀬すずは母親と来場。ここで社長に声をかけられ広瀬すずは芸能界入りし、美人姉妹として人気モデルになりました。

この時期、反抗期が来ていた広瀬すずは、そのタイミングで仕事を始めたので和らいだそうです。

沢村一樹

モデル出身で人気俳優の沢村一樹は、鹿児島県で両親と妹と幼少時代を過ごしていました。

そんな沢村一樹が小学生の頃、奔放で夫婦喧嘩が絶えなかった父親は多額な借金を背負ったそう。知人の借金の保証人となったその額は数千万円単位で、父親は蒸発して姿を消し両親は離婚。借金は母親が昼は化粧品販売、夜はスナックで働き返済していたので、一家は極貧生活だったそう。

沢村一樹が県立高校を卒業し地元でアルバイト生活をしていた頃、父親が死去しています。

沢村一樹は二十歳になると俳優を目指し上京、アルバイトをしながらモデルの仕事をこなしました。25歳で雑誌「MEN’S CLUB」の専属モデルになり、28歳で俳優デビューして現在に至っています。

杉本彩

歌手・女優・タレントの杉本彩は、公益財団法人動物環境・福祉協会Eva理事長もつとめています。華やかな外見とは裏腹に、影のあるオーラを放つ杉本彩も壮絶な生い立ちを経験している一人です。

京都市東山区祇園で祖父母が着物関係の仕事をし、母はテーラー、父は洋服の生地を扱う勤め人。そんな家庭の杉本彩が中学生の時に父親が脱サラ、母もテーラーを辞め小料理屋を開店しました。

知人の保証人になっていたことで父親が多額の借金を背負い、母親が違う男と家を出て家庭崩壊。高校受験を控えていた杉本彩は精神的に追い詰められ、刃物で手首を切り自殺を図ったそう。

母親の発見が早かった為に一命を取り留めますが、後に両親は離婚し、杉本彩は母親と暮らします。高校を1年で中退した杉本彩は16歳のときに家出、京都市でモデルとなり自活生活を開始しました。

保阪尚希

現代は通販コンサルタント等の活動をしてる、元俳優・歌手の保坂尚希の生い立ちも壮絶です。

保阪尚希が7歳の誕生日の3日後、サラリーマンの父、主婦で教育ママの母が自ら命を立ちます。普段は保阪尚希と両親は2階で寝ていたのに、その日だけは父親から1階で寝なさいと言われたそう。保阪尚希が翌日起きると、多数の警官が自宅に来ており祖母が話を聞かれていたそうです。

後に4歳下の妹と共に祖母と共に暮らしますが、保阪尚希が9歳の時に祖母が脳溢血で倒れ半身不随。駆け付けた叔母に保阪尚希は「あんたが迷惑をかけたからだと、非情な言葉を浴びてしまいます。

少年だった保阪尚希は近所の熱帯魚店に頼み込みで手伝い、200円の時給をもらって自立。中学生になるとイタリアンレストランに頼み込み、保阪尚希をシェフが内緒で雇ってくれそうです。そんな保阪尚希は静岡から東京に遊びに来た13歳の時、渋谷でスカウトされ人生が激変しました。

風吹じゅん

若い頃はキュートでセクシーなアイドルとして活躍していた、今やベテラン女優の風吹ジュン。11歳の時に両親が離婚し、母親はその数年後には家出する壮絶な少女時代を過ごしています。

生活能力のない母親から風吹じゅんは、「今日から1人で生きてください」と突然言われたそう。育児放棄された風吹ジュンは、高校2年で叔父の会社に就職した兄を頼り生活を共にしました。

高校受験は1次試験に合格しますが、2次試験の当日、母親の再婚を知り受験を放棄したそうです。風吹ジュンは高校進学せず、その後はレストランなどで住み込みで働き始め15歳で自立しています。

18歳になった風吹ジュンは、上京して銀座の高級クラブでホステスとして働き始めました。二十歳の時に芸能事務所の社員募集に応募すると、モデルとして採用され人生が激変しています。

高田純次

テレビデビューは32歳と遅咲きだった高田純次ですが、74歳になった2021年現在も人気者です。高田純次は東京都調布市国領生まれで、4歳の時に母親が他界、父親の再婚相手と生活しています。高田純次は父親に連れられ、亡くなる入院先の病院のベットの上の母親しか記憶がないそうです。

同居していた高田純次の祖母と、父親の再婚相手と折り合いが悪く、喧嘩がたえなかったそう。幼い高田純次は板挟みになり、常に継母と祖母二人の顔色を伺う生活をしていたと述べています。

高田純次は父親と同じ「東京ガス」就職を希望しだし、両親も一流企業勤務を願っていました。大学受験では、中央大学、明治大学、法政大学、青山学院大学と受験しますがすべて不合格。一浪後に東京芸大、武蔵野美大、多摩美大、日大芸術学部を受験しますが、再び全て不合格でした。

紆余曲折あった高田純次は、30歳で「東京乾電池」の一員になった事で、人生が激変しています。

矢沢永吉

2021年2月現在、71歳にして生涯現役宣言をして活躍中のロックボーカリストの矢沢永吉。矢沢永吉は3歳の時に母親が蒸発し、小学校2年生の時に広島の被爆者である父親が死亡しています。

両親のいなくなった矢沢永吉は親戚中をたらい回しになった後、父親方の祖母に引き取られました。祖母は生活保護者だったため、少年の矢沢永吉は何か自分が他の少年とは違うと感じていたそう。そんな矢沢永吉は(絶対に金持ちになる、金持ちになれば何でも手に入る)と決意しています。

小学校5年生の時からアルバイトを始めた矢沢永吉は、働きながら高校に通いギターも買いました。ビートルズになりたいという夢を抱いた矢沢永吉は高校卒業後、広島から夜汽車で上京します。

長時間の夜汽車でお尻の痛くなった矢沢永吉は、東京に着く前に聞き覚えのある駅名の横浜で下車。ここから矢沢永吉伝説はスタートしますが、キャロルでデビューするのはまだ数年先の事でした。

サヘル・ローズ

イラン出身の女優・タレントのサヘル・ローズは、14人の大家族の末っ子として生まれました。1989年のイラン・イラク戦争の最中、イラク軍の空爆によって4歳の彼女を残し一家は壊滅。

壊滅した町への救護隊ボランティア要員としてからかけつけた、後に養母と救い出されました。空爆により彼女の本来の出生年、出生名は不明で、サヘル・ローズとは養母がつけた名前です。意味は「砂浜に咲く薔薇」のサヘル・ローズは、孤児院で暮らした後、7歳で養母と来日。

二人は日本に留学中の養母の夫を頼りましたが、養母の旦那に虐待を受け逃げ出しました。2週間ほど養母とサヘル・ローズは公園でホームレス同然の生活を経験したこともあるそうです。

学校で虐めにあっても、サヘル・ローズは養母に心配かけまいと楽しい学校生活を演じたそう。そんなサヘル・ローズですが自力で都立高校から大学に進学、女優・タレントとしても活躍中です。

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