ニート・引きこもり経験のある芸能人20選まとめ!脱却・成功は可能?

苦あればらくあり、楽あれば苦ありとはよくいったものです。

社会が複雑になり、さまざまな問題に人は直面した時、自分を防御します。

それは、人間が本能的に持ち合わせている物といえます。

時としてニート・引きこもりも自己防御と言える世の中になっています。

ニートや引きこもりというと、仕事にもつかずに何もしないでフラフラしている。
人生を甘えて生きているとみられがちです。

ニート・引きこもりに走る人達にもそれぞれの理由や原因があります。

しかし、現代ではニート・引きこもりが社会的に大きな問題になってきています。

華やかな芸能界で活躍している芸能人にもニート・引きこもりを経験した有名人がいます。

彼らは、どのようにニート・ひきこもりから脱却したのでしょう。

ニート・引きこもりから脱却に成功した芸能人を20人程ピックアップしてみました。

 YOSHIKI

 

この投稿をInstagramで見る

 

Yoshikiさん(@yoshikiofficial)がシェアした投稿

YOSHKIは1998年にバンド仲間のHIDEの急逝により、あまりの悲しみからLAの自宅に引きこもるようになります。

YOSIKIにとってのHIDEの存在はバンドの中で一番の相談役、頼りにしている所が大きかったのです。

食事ものどを通らず、やせ細り、不眠に陥り、医師からは入院を勧められる程、精神的にも追い詰めれていたようです。

HIDEの後追を考えて「世の中から消えてしまいたい」とさえ思っていた時期にYOSHIKIのもとに舞い込んだ企画が、今上天皇の即位10周年を記念する奉祝曲でした。

はじめはあまりの大役に話を断る事を考えていたようです。

相談した母親に強く背中を押されて、YOSHIKIは奉祝曲「Anniversary」を皇居前広場で演奏します。

その時皇居前広場に集まった人々の喝采と天皇の温かい眼差しを受け、「僕は、世の中に必要とされているんだな」と素直に思えたと言います。

YOSHIKIはこれをきっかけにしてミュージシャンとして復活を果たしました。

 清水翔太

 

この投稿をInstagramで見る

 

Shota Shimizuさん(@s.shota0227)がシェアした投稿


シンガーソングライターの清水翔太は中学時代、学校に馴染むことができずに引きこもっていたことがあるようです。

自宅に引きこもりながら、清水翔太は創作した音楽配信をしていました。

中学を卒業して高校へ進学せずに引きこもりの時代に築き上げた音楽の道に進みます。

その後、出場したコンテストなどで実績を積み上げていきます。

コンテスト参加の中で出会った加藤ミリヤとのコラボ作品を多数輩出しています。

加藤ミリヤ以外にも小田和正とコラボをするなど世代を超えた音楽活動は注目を集めています。

清水翔太は、中学時代の引きこもりにより音楽の感性を磨き上げたと言えます。

他人の顔色ではなく自分の好きな事をする人生を象徴するかのような引きこもり生活を送ったといえるようです。

IKKO

 

この投稿をInstagramで見る

 

yuminさん(@yumin10017)がシェアした投稿


「どんだけぇ~」のセリフで一世を風靡したIKKOは、高校を卒業し、19歳で上京しました。

美容師の母親の影響もあり、上京して美容関係の仕事に就こうと考えます。

オネェキャラが今ほど、浸透していなかった時代。

IKKOは自分のキャラクターに引け目を感じて人と接することが苦手だったといいます。

人とのコミュニケーションが苦手というのは引きこもりの大きな要因の1つと言われています。

そんなわけでIKKOは人とは違うキャラが原因で引きこもったようです。

幸いにもIKKOは美容技術に対する向上心が人一倍強く、周囲も美容技術の向上が目覚ましく、センスのいいIKKOに一目置くようになります。

「向上心」と「夢」は引きこもりを克服するうえで大きな原動力となります。

また、美容技術の向上と共に時代がIKKOのようなオネェキャラを認めるようになってきました。

IKKOはセンスのよい美容技術と、今まで受け入れられることが無いと思っていた自らのキャラを世間から認められることで美容界のカリスマとして活躍するようになりました。

 麒麟 川島明

 

この投稿をInstagramで見る

 

川島 明(麒麟)さん(@kirinkawashima0203)がシェアした投稿


お笑いコンビの川島 明は高校生の頃、友達とのコミュケーションを上手くとる事が苦手だったことから引きこもりになりがちだったと語っています。

唯一自分の中で好きだった「絵」に対する判定も美術の成績判定で「2」。

なんでも、数字で判定する学校そのものが嫌いだったとも言っています。

自分に自信がもてないことでさらにコミュニケーション不足になった川島明は、「このままではいけない」という危機感を持っていました。

なんとかしようとあがいた先にお笑いに進もうという道が開けたようです。

大学に進学せず吉本総合芸能学院に進学することを決めます。

入学費用をためるために高校3年の時はアルバイトに明け暮れたようです。

ニートや引きこもりになる人は、「やりた事がみつからない」「向上心がない」タイプが多いと言われています。

友達とコミュケーションが取れず、好きだった美術も評価されずにひきこもりになりがちだった川島明は「お笑い芸人」になるという夢をみつけました。

そして、その夢に邁進するためにアルバイトという行動を起こしたことで、ひきこもりがちだった学生時代を乗り越えています。

最近では、麒麟としての活動より、俳優や司会などピンでの活躍が目覚ましい川島明です。

千原 ジュニア

 

この投稿をInstagramで見る

 

千原ジュニアさん(@chihara_jr)がシェアした投稿


中学2年生の頃から自宅の部屋にカギをかけて本格的に引きこもりをしていた千原ジュニア。

4歳年上の兄であるせいじから、お笑いの相方がいないから「相方になれ」と誘われて以来、お笑いコンビ「千原兄弟」を結成します。

情報番組のコメンティ―タとしても活躍しています。

最近も、深刻な社会問題になってきているニート・引き込もりについて、彼自身の経験も踏まえてコメントを述べました。

また2007年には引きこもっていた少年時代を『14歳』を出版しています。

本書で千原ジュニアはひきこもりは決して悪い事だけではないと言っています。

また、兄のせいじが声をかけてくれなかったら、自分はまだ、部屋でひきこもっていただろうとも述べています。

千原ジュニアはひきこもっている人に向けてのメッセージを自分の経験を踏まえ「やりたいと思う事をとりあえず、やってみればいい」と発しています。

JOY

 

この投稿をInstagramで見る

 

JOY(Joseph Greenwood)さん(@joy.official)がシェアした投稿


JOYはアーセナルFCユースに練習生として招待される程、将来を有望視されているサッカー少年でした。

高校1年の時に腰を痛めた事でサッカーを断念せざる得ませんでした。

サッカー一筋に打ち込んできたJOYにとってそれは大きなショックだったと言います。

志していたサッカー選手の夢を絶たれ打ち込むものを失ってしまったJYOは、引きこもるようになったと言います。

そんな中、JOYの姉がモデルの仕事を始めます。

モデルの仕事に関心を抱いたJYOは姉の紹介でモデル活動を始めます。

その後、テレビのバラエティ番組にも進出します。

2011年に「肺結核」を患い一時活動を停止し治療に専念していました。

現在は肺結核を完治させ精力的に芸能活動を行っています。

宮本亜門

 

この投稿をInstagramで見る

 

beat 宮本亞門の愛犬ビートさん(@beatamon)がシェアした投稿


演出家で有名な宮本亜門は高校1年の頃に1年近く不登校をし、自宅に引きこもる生活をしたことがあると語っています。

ひきこもりや不登校で悩む親に当時の経験をもとにNHKのあさイチで、アドバイスを送っています。

番組の中で、宮本亜門は「不登校、引きこもりは決して悪い事ではない」と力説されています。

特に思春期の引きこもりは感受性が異常なまでに豊かな時期なので「ひきこもりは、将来の何かにつながっていくブレーキをかけている時期」だと周囲は理解してほしいと強く訴えています。

親が子を思い心配になるあまり、普通を強調したり、将来や、未来を口に励まそうとするのはむしろ逆効果だとも力説しています。

「普通だから(こうしろ)と言うよりも、今は新しい仕事もどんどん出てきているし、ネットもある」「そういう意味では、引きこもりも悪くない」など発想の逆転も必要だとアドバイスしています。

引きこもる時間は人生の無駄な時間ではないと宮本亜門は言います。

現在も演出家として幅広く活躍されています。

眞鍋かをり

 

この投稿をInstagramで見る

 

一般財団法人 桑折町振興公社さん(@koori_shinkokosya)がシェアした投稿


かつてブログの女王と異名をとった眞鍋かをり。

ニキビ洗顔料で有名な「プロアクティブ」の日本市場キャスターに就任した際に、ひどいニキビに悩んで引きこもりになっていたことがあると告白しました。

もともと、インドア派の眞鍋かをりは、ブログの更新も激しくなってくるとプチひきこもりをして更新しているとも話しています。

更新されたブログの中でも、ひきこもる事について、あまり周囲は深刻にならないで欲しいと指摘しています。

地獄のミサワ

 

この投稿をInstagramで見る

 

Naoto Miyashita VeLO/veticaさん(@naotomiyashita)がシェアした投稿


地獄のミサワは、中学卒業後、高校にはいかずにお笑い芸人になると両親に報告し、通信制高校に通学します。

通信高校へ通う傍らお笑い育成の学校に通いますが、結局お笑いも途中であきらめてしまします。

通信高校で大検を習得するも、専門学校へいくでもなく、大学も受験せず、地獄のミサワはニート生活を送ります。

ニート生活を送る中で、読み漁った漫画の影響を受け、ネットで漫画配信を始めます。

画風が社会現象あるある敵な物が多く、中には地獄のミサワがひきこもりでニートだったからこそ書ける一コマ漫画は、多くの人々から協賛されています。

 村尾英文


幼い頃より子より、体が弱く自宅で過ごすことが多かった村尾 英文。

小中学校から始めたサッカーで体がだいぶ丈夫になったようです。

高校生の時にたこ焼屋のアルバイトをします。

たこ焼屋のアルバイトでは店長賞3回もを受賞しています。

しかし、高校3年の時に火傷が原因でアルバイトを辞めます。

その後、しばらく引きこもりとなります。

引きこもりをしている時に鑑賞したいくつもの映画に感動し、俳優になることを決意させました。

高校卒業後は独自で俳優になるため学びます。

俳優の勉強の傍大阪でホストとして働きます。

ホストとして働きながらさまざま作品のオーデションを受け、「夜を賭けて」でデビューを果たしています。

現在、精力的に俳優業をこなす村尾英文ですが、引きこもり生活があったからこそ、今がある!と公言しています。

指原莉乃

 

この投稿をInstagramで見る

 

Rino Sashiharaさん(@345insta)がシェアした投稿


目立たない少女だったと言う指原莉乃。

中学時代、目立たず地味だった指原莉乃の趣味はハロプロアイドルのマネを完コピするオタクでした。

オタク仲間と公園などでハロプロアイドルのモノマネをするときだけは活き活きしていたようです。

そんな指原莉乃がいじめを受けるようになったのは中学2年の時からでした。

最初の内はすれ違いざまに笑われる程度の軽いいじめはみるみるエスカレートし、指原莉乃は学校に行くのが苦痛となり不登校となり自宅に引きこもるようになります。

3年生になり高校進学も希望していたようです。

両親も、学校に行かない指原莉乃に高校から行けばいいと言ってくれていたと言います。

そんな時にAKBのオーデション告知を目にした指原莉乃はダメ元でオーデションを受け、見事に合格を果たし、今に至ります。

指原莉乃は現代の引きこもり事情に共感しながら、自分もオーデション合格して上京していなかったら、未だに自宅に引きこもっていたかもしれないと言います。

自らの引き込もりの経験を語る中で、ひきこもっている人達にエールを送っています。

山本美月

 

この投稿をInstagramで見る

 

MIZUKI YAMAMOTOさん(@mizuki_yamamoto_official)がシェアした投稿


モデル兼女優の山本美月は、人見知りが激しいことから、つい外出を避けることが多いと言います。

友人に食事に誘われても、食事会のメンツによっては断る事が多かったようです。

仕事が軌道にのってきて、様々な人とのつながりを深めていく中で、人間同士のお付き合いが大切な事に気が付いた彼女は、誘いを断らない事を意識するようにしたと言います。

新しい人との出会いを避けないように努力するなかで、友達が増えていく事は寂しがり屋の自分にとってはかけがえのない事だと気が付いたと語っています。

人付き合いの苦手意識を克服して、モデルとして女優としても更に飛躍する山本美月に注目です。

前田敦子


前田敦子は、デビュー前人前に立つのが苦手な内気な女の子だったようです。

母親が前田敦子のそんな性格が少しでも変わればと、AKBのオーデションをすすめました。

オーデションに合格し、しばらくの間は、仕事の前になるとプレッシャーで引きこもりがちになっていたようです。

そんな彼女に「この仕事は、自分で選んだ仕事だよね。」と声をかけてくれた母のおかげで少しづづ今のような前向きな性格にになれたと、前田敦子は後に語っています。

その後、脚本家 岡田摩理の自伝『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』NHKのBSドラマで主役をつとめました。

この作品は引きこもりだった脚本家岡田摩理が、引きこもりを克服し、脚本家として活躍するようになるまでを描いた作品です。

作品を通じ引きこもりで苦しんでいる人達にエールを送りたいと、前田敦子は役に取り組みました。

AKBを卒業しフリーとして活躍している前田敦子ですが、現在は結婚し、一児のママになっています。

現在は子育て中であるため、芸能活動を控えめにされているようです。

品川佑

 

この投稿をInstagramで見る

 

品川祐さん(@shinashina0426)がシェアした投稿


お笑いタレントで、映画監督もつとめる品川佑はバラエティー番組で高校中退後に心を病んで2年程引きこもり生活をしたことがあるとカミングアウトしています。

当時はやんちゃすぎて心を病んだ、死んでしまいたいと思って引きこもっていたと告白してします。

品川佑は好感度の低い芸人を売りに芸能界で活動をしています。

現場での態度が悪い、挨拶をしないなど芸人仲間以外のスタッフからも評判が悪く芸能界を干されかかったこともあったようです。

現在は、先輩芸人などからのアドバイスや忠告に耳を傾けるなど、少しは丸くなった模様です。

お茶の間に少しづつ復活してきているようです。

中川翔子

 

この投稿をInstagramで見る

 

中川翔子さん(@shoko55mmts)がシェアした投稿


アニオタの1人として有名なしょこたんこと中川翔子は、中学生の頃いじめに遭い辛い不登校、引きこもり時代を経験しています。

いじめに遭いながらも中学には頑張って通っていた中川翔子でしたが、卒業をまじかに控えたある日のとある事件で学校へ行かなくなります。

学校へ行かない、泣かないと、一番彼女自身がしたくない事をした悔しさから、中川翔子は自宅に引きこもります。

学校へいけという母親と激しいバトルも繰り返したようです。

死ぬ事ばかり考えていたと言います。

そんな彼女に明るい場所を提供したのは、ひきこもり中にはじめたブログだったようです。

はじめは、恨みつらみをブログにぶつけて死んでやろうかと思った中川翔子でしたが、それをやめて、「自分の好きだったもの」をブログに残して逝こうと思い直します。

大好きなアニメについて語るうち、どうせならコスプレも楽しもう!と楽しい事を残らずしてから逝くという方針に切りかえた時、中川翔子と同じ「好き」仲間に出会うことができたと言います。

そこに居場所をみつけた中川翔子は、いじめによりネガティブになっていた自分から脱却できたと言います。

そして、辛い思いをしてひきこもる人や、引きこもりを抱えて悩む家族に向けて自分の経験を踏まえて前向きになれるメッセージを発信しています。

とにかく生きる事を考えて欲しいと訴える中川翔子。

明るいキャラクターは辛い過去を乗り越えた彼女あっての物と言えるようです。

矢部美幸

ナインティーナインの矢部浩之の実兄である矢部美幸も芸人の時に引きこもりをした経験を持っています。

矢部美幸は高校卒業後、一般企業に勤めますが、お笑い芸人を目指して会社を退職し吉本興業の養成所にはいります。

とんねるずのファンだったことから「ちゃんねるず」と言う名で売り出しますが、売れず芸人を22歳で廃業します。

目的を失ってしまった事で、矢部美幸の引きこもり生活が始まります。

引きこもり生活は1年ほど続いたようです。

なにもせずに、自分が毎日家にいるのに両親が何も言わず、普通に接してくれたおかげで自分が立ち直るきっかけを作る事が出来たと矢部美幸は後に語っています。

友人に誘われてノウハウもない所から芸能事務所を立ち上げ、丸7年間はアルバイトをするなど、事務所を軌道に乗せるため休みなく働いたと言います。

ひきこもりという時期があったからこそ、丸7年事務所設立のために頑張る事ができたといいます。

矢部美幸にとってのひきこもりは決して無駄な時間ではなかったようです。

マツコ・デラックス


バラエティー番組で、頭の回転の良さを感じさせるトーク力が魅力のマツコ・デラックス。

恰幅のいい体系で女装をして、女言葉でトークを飛ばしまくる迫力。

ガタイ同様とても迫力のあるマツコデラックスですが、端々からにじみ出る繊細さや優しさは彼が、芸能界にデビューする前に自殺まで考えた悲痛な引きこもり生活があったからだと言われています。

マツコ・デラックスは、幼い頃より自分が同性愛者であることを自覚していたようです。

資格を取得し美容師になりますが、違和感を覚え、ゲイ雑誌の『Badi』の編集部に転職し、同誌の記者・編集者となります。

マツコ・デラックスはその後20代後半で同誌の編集部を辞め引きこもります。

引きこもり中マツコ・デラックスは、自分より不幸な人間をみつけて立ち直りのきっかけを作ろうと幸せランクリストを作ります。

しかし皮肉な事にその最下位は自分。

すっかり生きる気力も無くし自殺を考えるようになっていた時に、マツコ・デラックスが『Badi』で書いていたコラムのファンだった中村うさぎから対談と言うラブコールがかかりました。

自殺を考えていたマツコ・デラックスは中村うさぎとの出会いで芸能界にデビューし、今のようなキャラクターを完成させました。

マツコ・デラックスは折に触れ、中村うさぎに救われたと公言しています。

安藤美姫


フィギュアスケートの元世界女王の安藤美姫はバラエティー番組でオリンピックの時に引きこもりになったとカミングアウトしました。

司会者だった中山秀征が「試合のプレッシャーで?」と尋ねられパパラッチの存在に悩まされて自宅から出られなくなったと打ち明けました。

パパラッチが安藤美姫のフィギュアスケートを取材するのではなく、胸元やヒップなどスケート技術は全く無視した取材に、すっかり人間不信になったと言います。

そんな安藤美姫を根気よく支え続けたのは同じフィギュアスケート仲間の曾根美紀だったといいます。

曾根美紀の支えにより立ち直る事ができたとバラエティーで感謝の思いを告げていました。

山田ルイ53世


お笑いコンビ髭男爵の山田ルイ53世は中学2年の時から6年間引きこもりの生活をしていたことがあるようです。

山田ルイ53世は神童と呼ばれていました。

中2の夏、通学途中で大便を漏らしてしまったことがきっかけだったといいます。

通学に2時間かけ、部活もこなし・・・と精神的な負担が積もり積もっていたようです。

引きこもりになってから、夜昼逆転の生活が始まったといいます。

部屋に引きこもっていても、学校のチャイムの音、通学時の学生たちの声を聞くだけでも辛かったようです。

引きこもりの時にアルバイトもしていたという山田ルイ53世でしたが、彼にとって、家から出ない事が引きこもりではなく、社会に参加していない事が引きこもりだったと言います。

そんな引きこもりから、山田ルイ53世が脱するきっかけが、ニュースでみた成人式だったようです。

成人になる前に落ちている自分をなんとか止めないとまずいと痛切に感じたとのこと。

そのためにとりあえず大学に通い始めます。

そして大学祭でお笑いをやったことでたまたまお笑いの道に進みます。

髭男爵として一時売れましたが、彼の中でひきこもりからの完全な脱出感はなかったようです。

引きこもって学歴的に履歴書はボロボロでどう考えても就職はできないと考えた時、自分にはお笑い芸人の道しか残っていなかったと言います。

それでも山田ルイ53世は人生は何度リセットしてもいいと言い切ります。

あの人は今。

そういわれながら地道な芸能活動を続けているようです。

五十嵐 隆

ミュージシャンの五十嵐隆は、 高校在学中にギターをアルバイトをして購入。

しかし、学園祭で飲酒をし、補導され停学になります。

その時の教師の対応に反感を持った五十嵐隆は、学業そのものに嫌気がさし、勉強をしなくなります。

大学浪人中に両親とバリに行き、現地の民族音楽「ケチャ」に大きな影響を受けつつも帰国後引きこもりになります。

その後音楽専門学校に通い、レコーディングエンジニアを目指しますが、嫌いなタイプの音楽にまで対応しなければならないエンジニア職は自分に向いていないと諦めます。

そして音楽学校で出会った中畑大樹とバンドを組みます。

独特な音楽の世界観を持っており、ファンの間では、五十嵐隆教などと揶揄されています。

現在はネットやSNSで音楽配信しながら熱心なファンと交流を図っているようです。

まとめ記事
芸能人のランキング&まとめ速報

コメント

タイトルとURLをコピーしました