人工透析の芸能人15選まとめ

人工透析は腎臓を患っている人が血液から体に溜まった余分な水分や塩分、老廃物を除去することを目的に行う治療です。

最近では糖尿病腎症による末期腎不全で治療を受ける人が増えています。

今回は人工透析を受けている・受けていた芸能人を15人紹介します。

渡辺徹

渡辺徹 人工透析 芸能人

渡辺徹は1961年5月12日生まれ、司会やタレントとして活躍しています。

渡辺徹は若い頃から太っていて、1日6食、コーラを9L飲むという生活を送っていたため、30歳の時急性糖尿病で救急搬送されたことがありました。

1987年に榊原郁恵と結婚し、家庭内では食事管理をしっかりとされていたのですが、それがストレスになり地方ロケの時には暴飲暴食を繰り返します。

2012年4月には虚血性心疾患と診断され、冠状動脈の1本が完全に詰まった状態でした。

5月にカテーテル手術を受け仕事復帰しましたが、2013年3月には急性膵炎を発症し入院。

2016年からは慢性腎不全を患い週3回の人工透析を行っています。

梅宮辰夫

梅宮辰夫 人工透析 芸能人

梅宮辰夫は1938年3月11日生まれの俳優、タレントです。

1974年に睾丸がんを患い、肺への転移も見つかりましたが、化学療法により治癒しました。

これをきっかけに梅宮辰夫は食生活や生活習慣を省みるようになりましたが、2016年6月には十二指腸乳頭部がんが見つかり、十二指腸と胆のうの全摘手術を受けます。

この時、同時にすい臓と胃の一部も摘出しました。

2018年9月に前立腺がん、2019年1月に尿管がんの手術を受け、がんの闘病生活を送ります。

がんの合併症である腎不全を患い、80歳で週3回、1回に4時間透析人工透析を行うようになりました。

2019年12月12日81歳、慢性腎不全でこの世を去っています。

5代目三遊亭圓楽

五代目三遊亭圓楽 人工透析 芸能人

五代目三遊亭圓楽は1932年12月29日生まれの落語家で、四代目『笑点』の司会者として知られています。

66歳の時に腎不全を発症し、人工透析を受けるようになりました。

2005年10月に脳梗塞で入院したことをきっかけに、2006年5月『笑点』の司会を引退します。

2007年11月には胃がんの手術を受け、2008年3月には肺がんの手術を受けました。

2009年5月、肺がんが再発し、脳梗塞も発症。

そして10月29日、転移性肺がんによりこの世を去りました。

錦戸眞幸

錦戸親方 芸能人 人工透析

錦戸眞幸は1962年9月2日生まれ、水戸泉政人という四股名で活躍した高砂部屋所属の元大相撲力士です。

現役引退後は錦戸親方となり後輩の指導に当たっています。

錦戸眞幸は2016年10月28日情報番組『爆報! THE フライデー』で「末期の腎不全で人工透析を受けている」と自ら明かしました。

その以前には、体調不良により稽古場に顔を出せない日がありましたが、2016年2月に結婚した22歳年下のソプラノ歌手・小野友葵子が食事療法でサポートし、体調が回復しました。

2019年3月場所では全15日間審判長を務める予定でしたが、体調不良により休場しています。

南部虎弾

南部虎弾 人工透析 芸能人

南部虎弾は1951年7月14日生まれ、パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」のメンバーです。

2011年60歳の時に2型糖尿病と診断され、左足首が象のようにむくみ、足の甲が壊死する程まで進行していたため、人工透析を受け始めます。

2017年には糖尿病の悪化で倒れ、急性冠症候群による心不全を患い心臓バイパス手術を受けました。

2019年5月に、妻の腎臓を移植する手術を受け回復しています。

ミヤコ蝶々

ミヤコ蝶々 人工透析 芸能人

ミヤコ蝶々は1920年7月6日生まれ、上方芸能界を代表するコメディエンヌです。

生まれつき片方の腎臓が機能していなかったことで知られています。

長年人工透析を行っていたため、晩年には人工透析に使える血管がなくなり、腹膜透析に切り替えました。

70歳を超えたころから入退院を繰り返すようになりましたが、舞台では一切弱った姿を見せません。

しかし幕が下りた瞬間倒れこみ、歩くこともままならず車椅子で移動することもありました。

2000年10月12日、80歳のとき慢性腎不全でこの世を去っています。

ブラザー・コーン

ブラザー・コーン 人工透析 芸能人

ブラザー・コーンは1955年11月5日生まれ、ブラザー・トムと共にソウル音楽デュオ「バブルガム・ブラザーズ」で活動している歌手です。

1990年に発売した『WON’T BE LONG』はミリオンセラーを記録し、2006年にEXILEと倖田來未にカバーされたときはオリコン最高2位を獲得しました。

ブラザー・コーンは2002年に貧血で病院へ行くと、排水腫とネフローゼと診断され即入院。

腎臓病が悪化し尿が排出できない状態になり全身がむくんだ状態になっていたため、3年間人工透析を受けました。

2005年に余命2年と宣告されましたが、妻の腎臓を移植し仕事復帰します。

それ以来ブラザー・トムは禁煙し、健康に気遣うようになりました。

グレート義太夫

グレート義太夫 人工透析 芸能人

グレート義太夫は1958年12月26日生まれ、ミュージシャンや舞台俳優としても活躍するたけし軍団の一員です。

1995年の夏にのどが乾く、目がかすむなどの症状が現れながらも放置していると、ある日自宅で倒れてしまい病院で糖尿病と診断されました。

自炊による食事療法と運動療法、インスリン注射などで闘病を続け、2007年からは糖尿病腎症による腎不全で週に3回の人工透析を行っています。

2009年6月には、糖尿病の経験を綴ったエッセイ本『糖尿だよ、おっ母さん!』を発売しました。

長州小力

長州小力 人工透析 芸能人

長州小力は1972年2月5日生まれ、「キレてないですよ」という有名なフレーズで長州力のものまねをする、お笑いプロレス団体の西口プロレスのメンバーです。

2013年9月29日に放送された『駆け込みドクター!運命を変える健康診断』で脂肪肝や高脂血症、糖尿病と診断され、番組内で「長州小力健康改善プロジェクト」が立ち上げられました。

食事管理や運動とインスリン注射で健康な生活を取り戻しましたが、糖尿病発見が遅かったため2014年6月29日の『駆け込みドクター!運命を変える健康診断』で糖尿病性腎症と診断。

人工透析が必要な状態と宣告されました。

萩原正人

荻原正人 人工透析 芸能人

荻原正人は1967年5月31日生まれ、かつて河崎健男とお笑いコンビ「キリングセンス」を組んでいたお笑い芸人です。

1998年に母子感染によるB型肝炎から、肝硬変を発症しました。

1999年、肝硬変の影響でできた食道静脈瘤が破裂し、大出血となり生死の境をさまよいます。

肝硬変には対処療法がしかなかったため、2000年にアメリカで肝臓と腎臓の同時移植手術を受けました。

移植した腎臓が2009年に強い拒絶反応を起こして腎不全となり、人工透析を開始。

2015年に妻の腎臓を移植し、仕事復帰することができました。

林隆三

林隆三 人工透析 芸能人

林隆三は1943年9月29日生まれ、宮沢賢治の朗読劇で有名な俳優、ナレーターです。

亡くなる数年前から腎臓の病気で入退院を繰り返し、2013年には手術をうけました。

病気になった後も精力的に仕事をこなし、人工透析などの治療をしっかりと受けています。

2014年6月4日に2時間半のコンサートを終えた後、ライブハウスを出たところで倒れ入院先で亡くなりました。

松原のぶえ

松原のぶえ 人工透析 芸能人

松原のぶえは1961年7月18日生まれ、『おんなの出船』でデビューした演歌歌手です。

幼少期から腎臓が弱く、急性腎不全で入院したことがありました。

松原のぶえ自身は完治したと思ってましたが、2008年に腎臓が2%しか機能していないことが発覚し、即人工透析治療を開始。

治療と仕事の両立が大変になったことがきっかけで、2009年5月14日に弟の臓器を移植し、現在は仕事復帰しています。

香川伸行

香川伸行 人工透析 芸能人

香川伸行は1961年12月19日生まれ、福岡ダイエーホークスで捕手・内野手として活躍した野球選手です。

練習中に喉が乾くとコーラをがぶ飲みし、1日で約10本飲むほどの甘党でした。

2001年には糖尿病を発症していましたが通院せず、2002年に急性心不全で緊急手術を受けます。

その後、1回5時間の人工透析を週に3回受けるようになりました。

2014年9月26日に自宅で倒れ、心筋梗塞によりこの世をさっています。

ピコ

ピコ 人工透析 芸能人

ピコは1988年3月11日生まれ、ニコニコ動画の歌ってみたカテゴリーで歌い手として活躍後、メジャーデビューした歌手です。

2019年3月下旬から疲れやすいなどの体調不良を感じるようになり、6月に病院にかかったところ末期腎不全と診断されました。

緊急入院し、人工透析を週3回と投薬治療を行いましたが効果がなく、継続して人工透析を行うための措置内シャント設置術を受けます。

扁桃腺が臓器へ悪影響をことがわかり、扁桃腺の摘出手術と母親からの臓器提供をうけ、2019年8月27日に退院。

2020年10月18日に無事に復帰し、ライブを行いました。

大島治彦

大島治彦 人工透析 芸能人

大島治彦は1967年2月7日生まれ、柴山俊之らとバンド「ラーマ・アメーバ」で活動しているドラマーです。

2015年に腎不全と診断され人工透析を始めました。

内シャント設置術を受けた状態でドラムを叩いた前例がなかったため、主治医には「血管が破裂するかも」と言われましたが、ライブを無事にやり終えます。

その後は人工透析をしていてもやりたいことを諦めない姿を発信したいと考え、クラウドファンディングで支援を募りNYツアーを敢行し、DVD化しました。

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