干された・消えたお笑い芸人10選!干された・消えた理由と現在の活動は?

毎年大ブレイクする人がいる一方、消える人も多いお笑い芸人の世界。テレビに出続けるには次々にヒットするネタを作ることが出来るか、トーク力がありバラエティ番組に出るか、など才能が必要です。

そんなお笑い芸人の世界で干された・消えたお笑い芸人をその理由と現在と共に10人紹介します。

エド・はるみ

エド・はるみは「グ〜」と言いながら親指を突き出し、韻を踏んだ面白い談話をリズムに合わせて踊りながら話すネタで有名です。

お笑いを始める前は「円・劇団研究所」に女優として所属し、1990年にNHKドラマ『真夜中のテニス』などに出演していました。

女優をしながらお笑いに対する熱意が湧き出してきたため東京NSCの11期生として入学。同期の中では最年長でした。

卒業後は持ち前の真面目さと礼儀ただしさで芸人間で評価が上がり、テレビに出演するといじってもらえることが多くネタが徐々に広まっていきます。

2008年2月17日放送の『一瞬で笑えるネタ祭爆笑レッドカーペット祝1周年記念特別企画史上最高56組が大集結笑いっぱなしの3時間新ネタ新キャラ新芸人続々登場スペシャル!』で優勝しブレイク。

新人芸人としては歳を取っていることや、それまでの生い立ちに注目が集まり2008年11月7日スペシャルドラマ『恋を捨て夢に駆けた女〜エド・はるみ物語〜』が放送され、本人役でエド・はるみも出演しました。

しかし2009年以降テレビ出演が激減し、そのうち消えてしまいました。

理由としては以下のようなことが言われています。

  • 2010年に一般男性と結婚し、2013年から不妊治療をするためバラエティ番組『中居正広の金曜日のスマたちへ』の社交ダンス企画から降板した
  • 2014年8月8日にバイクとエド・はるみが運転する車が接触事故を起こし、バイクの男性が軽症を負わせた
  • 2014年10月2日、2009年頃から5年にわたって続く週刊誌や報道による誹謗中傷に対して法的処置を開始した

2015年から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科に所属し、「生きにくさの研究」をしていると発表しています。

2020年1月1日にはYouTubeチャンネル『エド先生のYouTube』を開始し、ネタやダイエット・健康企画、ビジネス関係、お笑い芸人の髭男爵とのトークなどマルチな内容の動画を公開中です。

YouTube以外のお笑い芸人の活動はしていませんが、現在も吉本興業に籍をおいています。

日本エレキテル連合

日本エレキテル連合は「ダメよ〜ダメダメ」というセリフとインパクトのある白塗りの女性と男装の二人が繰り広げる「未亡人朱美ちゃんシリーズ」のネタでブレイクしたお笑い芸人です。

「未亡人朱美ちゃんシリーズ」では白塗りで独特なメイクを施した人形役をしている橋本小雪と、昭和感がありシミが多く哀愁が漂うおじさん役をしている中野聡子のコンビで活動しています。

ピン芸人で活動していた橋本小雪が中野聡子を誘う形で2007年10月に結成。

ダメよ〜ダメダメ」は2014年の「新語・流行語大賞」の年間大賞、2014年度ネット流行語大賞第3位、Yahoo!検索大賞 2014・お笑い芸人部門を受賞を受賞し、多くの人たちがモノマネをする社会現象になりました。

そんな日本エレキテル連合は2015年頃にはすでにテレビから消えてしまいます。

理由としては以下のようなことが言われています。

  • 一発屋になりたくない」という本人たちの意思で、「未亡人朱美ちゃんシリーズ」のネタを早々に封印した
  • ギャラを大人気お笑い芸人並みに上げるよう交渉し失敗した
  • 中野聡子は極度の人見知りで橋本小雪はトークが下手なためバラエティ番組に馴染めなかった
  • ネタ番組が次々に終了した

日本エレキテル連合は2013年8月19日からYouTubeチャンネル『日本エレキテル連合の感電パラレル』を開設しており、現在も続けています。

ネタを中心に投稿し、登録者数は2021年1月時点で15.5万、一番の人気動画は462万回再生されている人気チャンネルです。

中野聡子は2020年1月に同じ事務所タイタン所属の芸人松尾アトム前派出所と結婚しました。

テレビからは干されましたが、ライブなども行いお笑い芸人としての活動は順調のようです。

ひょっこりはん

ひょっこりはんはマッシュルームカットに黒縁メガネ、赤い蝶ネクタイと白いタンクトップ、下半身はタイツというひょうきんな姿に、軽快なリズムのBGMが流れた後「ひょっこりはん」とおとぼけ顔で顔を出すネタでブレイクしました。

ひょっこりはんは早稲田大学人間科学部を卒業後、2012年に東京NSCに18期生として入学しました。

2013年に南部幸一とお笑いコンビ「ダイキリ」を結成ししゃべくり漫才を得意としていましたが、2016年3月に解散。

2016年4月からピン芸人となり、2018年に大ブレイクしました。

真似をしやすいネタのため、子供向けバラエティ番組『おはスタ』では水曜コーナー「どこからひょっこりはん」を持つほど主に子供から人気を得ます。

しかし2020年にはテレビからすっかり消えてしまいました。

理由としては以下のようなことが言われています。

  • 使用していたBGMの利用方法が規約に反しており、制作側から訂正の申し入れがあったが、同じ方法で使用を続けたことでSNSで批判が殺到した
  • ひょっこり以外のネタがない
  • トークやリアクションスキルがなく、バラエティ番組で使えない

YouTubeチャンネル『ひょっこりはんチャンネル』を2019年4月2日に開設しましたが、2020年3月を最後に動画を投稿していません。

YouTubeではインターハイに出場する腕前のソフトテニスを生かした企画などの動画を投稿していました。

2019年10月3日に結婚を発表し、2020年8月3日、第一子となる男児が誕生したことを発表しています。

テレビからはすっかり干されましたが、芸人としては時々ライブ活動を行い、絵本作家やアパレルデザインなどで活躍中です。

にゃんこスター

にゃんこスターはスーパー3助がツッコミを担当し、アンゴラ村長がボケを担当するコンビです。

アンゴラ村長が得意な縄跳びを大塚愛の『さくらんぼ』に合わせて飛び、それにハイテンションの実況を入れる斬新なネタで有名になりました。

スーパー3助は専門学校の同級生ゴールドハンバーグと、お笑いコンビ「アンドレ」を結成し活動していましたが解散後はピンで活動。

アンゴラ村長はワタナベコメディスクール20期生で、まついあきとお笑いコンビ「暇アフタヌーン」を組んでいましたが2016年9月に解散しました。

2017年4月頃スーパー3助がアンゴラ村長を誘う形で結成し、5ヶ月後の10月1日には『キングオブコント2017』の決勝に進出し、史上最速記録となります。

これを機にブレイクし、縄跳びのうまさに加え可愛いアンゴラ村長に男性ファンも多くつきましたが、2018年後半には消えたと言われいました。

理由としては以下のようなことが言われています。

  • 交際宣言をしたため、アンゴラ村長目当ての男性ファンが減った
  • 同じネタしかやらない
  • アンゴラ村長の「もっとブスでデブで貧困に生まれていたら、勉強がんばるのだけれど」 「今日は上目遣いで歩くブスを見たから不機嫌だった」という過去のツイートが表沙汰になり性格が悪いと言われた

2020年には破局報告をYouTubeで行いましたが、世間の反応は「どうでもいい」と冷たい反応でした。

これをきっかけにYouTubeチャンネル『にゃんこスターのぴょぴょぴょん公園』を開始し、ミュージックビデオ再現やゲーム配信などをしています。

登録者数は2021年1月現在9000人程度と少なく、再生数も多くはありません。

アンゴラ村長はお笑い芸人でブレイクしている時も、早稲田大学卒業時に就職した「株式会社これから」でOLをしているので、その仕事をしながらたまに芸人の仕事をしています。

スーパー3助は『M-1グランプリ2020』にパーパーのほしのディスコと即興コンビ「ハイトーン兄弟」として出場し、2回戦で敗退しています。

ハイキングウォーキング

ハイキングウォーキングは鈴木Q太郎と松田洋昌のコンビで、ボケとつっこみはネタによって変わり、松田洋昌がネタ制作をしています。

松田洋昌は東京NSCの2期生、鈴木Q太郎は東京NSCの3期生として入学し、結成当時はコンビ名を「くるま」としていましたがしっくりこなく、「ハイキングウォーキング」に改名しました。

有名なネタは鈴木Q太郎が長い髪の毛を二つに手でまとめ耳元に持ってきて「卑弥呼さま〜」と叫ぶモノマネや、炭酸飲料を一気飲みしてゲップをせずに山手線の駅名を言うなどの「Mr.スズキックスのスーパーイリュージョンショー!」です。

爆笑オンエアバトル』では2009年チャンピオン大会ファイナルステージまで進出し2位。

キングオブコント』では2009年、2011年に準決勝進出し、『M-1グランプリ』では2007年から2009年まで連続準決勝まで進むなど賞レースで好成績を残していましがた、2011年頃からテレビから干されてしまいました。

理由としては以下のようなことが言われています。

  • 鈴木Q太郎が気持ち悪く見えるネタが持ち味だったが、長く披露する間に本当に気持ち悪るがられるようになりテレビ局へ苦情がくるようになった
  • トークやリアクションスキルがなく、バラエティ番組で使えない

最近は大道芸人としてイベントに出演しているようです。

大道芸のレベルは低いですが、トークや間の取り方がさすがで会場も盛り上がっています。

YouTubeチャンネル『ハイキングウォーキングいきなり生チャンネル』を2020年1月1日に開設し、食べ物系の「やってみた」やゲーム実況動画を公開中です。

2021年1月時点の開設から1年で動画数412本とかなりハイペースで動画をアップしていますが、チャンネル登録者数7510人とあまり多くはありません。

世界のナベアツ

世界のナベアツはNSC大阪校の10期生として入学後、渡辺あつむ名義で1991年から山下しげのりとお笑いコンビ「ジャリズム」として活動していました。

ジャリズムの解散、再結成や放送作家として活動する最中、ちょび髭で銀のスーツのキャラ「世界のナベアツ」が完成。

3の倍数と3がつく数字のときだけアホになります」のネタでブレイクし、2007年には第5回レッドカーペット賞を受賞し、『R-1ぐらんぷり2008』では3位となりました。

各ジャンルのテレビ番組で引っ張りだこでしたが、2010年頃にテレビから消えたのは驚くべき理由があります。

2011年2月に落語修行に取り組むため、お笑い芸人を引退及びジャリズムを解散させたのです。

桂三枝(現・六代桂文枝)に弟子入りし、高座名は「桂三度」となり、2012年1月3日初高座に上がりました。

2018年10月22日にはNHK新人落語大賞を受賞し、落語家としても高い評価を得ています。

長井秀和

長井秀和は「間違いない!」「気をつけろ」といったキャッチフレーズの入った漫談で、『エンタの神様』や『爆笑オンエアバトル』で活躍したお笑い芸人です。

デビューは1992年でしたが、下積み時代が長くブレイクしたのは『爆笑オンエアバトル』でショートコント「同じ動きなのに違うこと」を披露し、初出場にしてオンエアを勝ち取った1999年11月頃からでした。

ネタ番組だけではなく、バラエティ番組『不幸の法則』のMCや『朝は楽しく!』など情報番組レギュラーもあり、マルチに活動。

しかし2008年頃にはテレビから干され全くみなくなりました。

理由としては以下のようなことが言われています。

  • 2007年5月にフィリピンで17歳少女と関係をもった
  • 2007年10月アメリカ留学中にロシア人女性との不倫画像が写真週刊誌に掲載された
  • 芸風が毒舌だったため多くの芸能人に嫌われた

フィリピンでの事件は2007年9月25日『女性自身』と『FLASH』に掲載され、少女は美人局であったと分かりました。

現地では警官を名乗る男性グループに囲まれ、示談金として1100万円支払います。

下積み時代から支えてくれた女性とブレイク後結婚していましたが、この報道があり離婚が成立しました。

干された後は2017年にアイドルグループ「Royal Straight Flush」のプロデューサーになりましたが、そちらの活動はうまくいかなかったようです。

その他、企業を対象にした英語教師やダンスチームのメンバーなど何足のわらじも履いて生活しています。

楽しんご

楽しんごは「ドドスコスコスコラブ注入〜」の決めセリフと、当時は珍しかった乙女男子キャラで一斉を風靡したお笑い芸人です。

お笑い芸人になる前は俳優として活動しており、20歳からシネマに出演していました。

2006年からお笑い芸人へ転身し、すぎはら美里と姉弟設定でコンビ「Mint姉弟」を組み、『エンタの神様』などで人気を博しました。

ラブ注入」は2011ユーキャン新語・流行語大賞でトップ10入り。

しかしこの後パタリとテレビから消えてしまいました。

理由としては以下のようなことが言われています。

  • 体調不良
  • 男性マネージャーに全治一週間の怪我を負わせ書類送検される
  • ビジネスが成功している

人気絶頂期であった2009年にも一度体調不良で休業していたことがあり、再び体調をぶり返したということが考えられます。

また、男性マネージャーとのトラブルは2013年12月に楽しんごの自宅で起こり、11日に楽しんごが書類送検されましたが、この時「口外されたくなければ100万払え」と脅迫されたことから、マネージャーも後に書類送検されました。

楽しんごは整体師であることがテレビ出演時から有名でしたが、現在は高級整体院をいくつも経営しリッチな生活をしているようです。

パッション屋良

パッション屋良はマッチョな体操のおにいさん風の出で立ちで、ネタのオチに胸を叩きながら目を見開き「んー!!んー!!んー!!んー!!」と言うネタで人気になったお笑い芸人です。

同業者のお笑い芸人のみならず、多くの子供達に真似されましたが、危険ということもあり「パッション禁止令」が出た学校もある程インパクトのあるネタでした。

国士舘大学体育学部卒業し体育教科の教員免許を持っていますが、2006年頃からテレビに露出し始めます。

爆笑オンエアバトル』や『お笑い登龍門ガッハ』などの出演で知名度が上がり、身体能力を生かして2006年3月29日の『スポーツマンNo.1決定戦・第16回芸能人サバイバルバトル』などスポーツ系番組にも多く出演していました。

2006年3月29日に16年間交際していた一般女性と2005年に入籍していたことを発表し、人気も好感度も高かったのですが、2011年頃テレビから消えてしまいました。

その理由は、地元沖縄へ移住したことです。

移住してすぐはお笑いイベントの企画に失敗し、借金を背負い大変な時期もありましたが、現在はテレビのディレクション、プロデュース業とジムトレーニング施設の経営で安定した生活をしています。

ムーディー勝山

ムーディー勝山は、白いタキシードに黒い蝶ネクタイをし、ムード歌謡風の「右から来たものを左へ受け流す」のネタで有名なお笑い芸人です。

NSC大阪校の23期生としてお笑いの道に入り、2005年に勝山真司名義でNSCの1期先輩である梶剛とコンビ「勝山梶」を組み、後に「アイスクリーム」と改名するも2010年6月に解散しました。

解散前の2006年ごろからムーディー勝山名義でネタを披露するようになり、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』や『エンタの神様』などに出演しブレイクします。

しかし2007年後半にはもう仕事が激減し、テレビから干されてしまいました。

理由としては以下のようなことが言われています。

  • 相方へのパワハラでイメージダウン
  • トークやリアクションスキルがなく、バラエティ番組で使えない

相方へのパワハラは、コンビ「アイスクリーム」を組んでいながら自分だけムーディー勝山として売れてしまい、コンビ内格差が生まれてしまったことが発端のようです。

俺のおかげでお前も飯食えてるからもっと俺に感謝しろ」「俺が出ている番組は全部見ろ」などの発言を他のお笑い芸人の前で堂々としていたため、お笑い芸人のみならずスタッフからも嫌煙されるようになり、干されてしまいました。

しかし現在はこのような態度を反省したと2016年『しくじり先生 俺みたいになるな!!』で発表しています。

芸人としての仕事は減ったままですが、一発屋であることを逆手にとり同じく一発屋と言われるレイザーラモンHG、三瓶、楽しんご、天津木村と5人で「再生可能ボーイズ」を結成しローカル番組に出演。

お笑い芸人としての再起に向けて地道な活動を続けています。

 

 

以上、干された・消えたお笑い芸人10選!干された・消えた理由と現在の活動は?について紹介しました。

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