郷ひろみがジャニーズを辞めた理由とバーニングに事務所を移籍の経緯は?

66歳になる今も、若々しくかっこいい郷ひろみ。

パワフルな歌声やダンスが魅力的ですよね。

キャッチーなフレーズや数々の名曲を残してきた郷ひろみは、かつてジャニーズ所属でした。

今回は事務所を辞めた理由やジャニーズ時代の活躍についてまとめます。

郷ひろみがジャニーズに入所時期と入所理由

郷ひろみは1955年、福岡県に生まれました。4歳の時に家族で上京しています。

ジャニーズ入所の経緯は、三島由紀夫の小説をモデルとした映画『潮騒』のオーデイションに落選したことです。

このオーデイションは郷ひろみが望んだものではなく、近所のおばさんが勝手に応募してしまったものだったとか。

会場にいた当時のジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川が直接スカウトし、超VIP待遇の入所だったといいます。

1971年、郷ひろみが高校1年生のころでした。

もともと芸能活動に強い興味があったわけではなく、流れで入所することになったんですね。

郷ひろみのジャニーズ時代の活躍

ジャニーズに入った郷ひろみは、すぐに目覚ましい活躍を見せました。

ジャニーズ創成期を支えた人気グループ、フォーリーブスのバックダンサーにつくと多くのファンを獲得します。

郷ひろみというのはジャニーズには珍しく芸名で、フォーリーブスのファンの声援「レッツゴーひろみ」から来ているそうです。

入所したばかりの郷ひろみはまだ高校生。

あどけなさの残る可愛らしいルックスで若い女性を魅了したそうです。

鼻にかかった歌声も人気を呼び、ファンによる親衛隊も誕生したんだとか。

1972年に『男の子女の子』で歌手デビューするとともに、大河ドラマ『新・平家物語』で俳優デビューも果たしています。

『男の子女の子』はオリコン入りし、中性的なルックスの郷ひろみの魅力を全面に押し出し大ヒットとなりました。

さらに翌1973年には『裸のビーナス』で第4回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞しています。

当時人気のバロメーターとも呼ばれたブロマイドの売り上げはアイドルの中でトップに!

西城秀樹・野口五郎とともに『新御三家』と呼ばれ、名実共にトップアイドルとして活躍したのでした。

そんな人気絶頂だった郷ひろみですが、デビューからわずか3年後の1975年4月1日にジャニーズ事務所を退所しました。

郷ひろみがジャニーズ事務所を辞めた理由は?

人気絶頂だったにも関わらず、郷ひろみがジャニーズ事務所を辞めた理由が気になりますね。

その理由について表向きの理由と裏の理由が推測されます。

方向性の違い

郷ひろみは入所してすぐにNHKの大河ドラマ出演が決まったり、フォーリーブスのバックについて人気がでました。

下積みがほとんどない状態で、気がつけばトップアイドルになっていたのです。

トップアイドルの郷ひろみは多忙を極め、連日の歌番組出演やドラマの撮影などで睡眠時間も3時間程度だったとか。

落ち着いて食事を取ることもできず、移動車のなかで慌ただしく済ませるような生活が続きました。

仕事が優先であるため、ダンスや歌の基礎レッスンなどは二の次です。

過密スケジュールのため、リハーサルなしのぶっつけ本番の歌唱も当たり前だったと言います。

真面目な性格の郷ひろみは、次第に将来に対して不安を抱くようになりました。

基礎を身につけていない自分が、この先芸能界で生き抜いて行けるのだろうか

スキルアップをしたいと事務所に訴えたものの、事務所の意見は「今はその時ではない」というものでした。

事務所にとっては稼ぎ頭の郷ひろみの仕事のペースは崩したくなかったのです。

いつ旬が終わるかわからないアイドルを抱える事務所にとっては、そういう判断になるのも当然かもしれませんね。

こうした意見のズレから郷ひろみは退所したと言われています。

意見のズレはありましたが、郷ひろみのスキルアップのための円満退所という形で報道されました。

これが表向きの理由とされるものです。

ジャニー喜多川との確執?

もう一つの説はこちらです。

移籍先となったバーニングプロダクションの社長・周防郁雄は退所理由を明らかにしています。

いわく、「ジャニーさんとトラブルになったらしい」というものです。

周防郁雄は詳しい経緯については語っていませんが、ネット上ではジャニー喜多川が郷ひろみに恋愛感情を抱き、それに応えられないため郷ひろみは事務所を去ったのでは?と言われています。

ジャニー喜多川が男色家である噂が、こういう退所理由を生み出したのかもしれません。

真相は定かではありませんが、手塩にかけて育ててもらったのに人気絶頂での電撃移籍をする理由には十分ではないでしょうか。

ジャニーズはほとんどの場合グループでデビューし、その後ソロになることが多いですよね。

しかし郷ひろみは最初からソロでデビューしています。

ジャニー喜多川の思い入れも相当強かったのではないでしょうか。

恋愛感情があったのかどうかは不明ですが、ジャニーさんの思いが強すぎることが負担になってしまったのかも知れません。

現在の郷ひろみの活動

当時のジャニーズ事務所はまだまだ弱小プロダクションで、バーニングのほうが大きかったそうです。

松竹芸能など他のプロダクションも移籍先の候補でしたが、郷ひろみはバーニングを選び、移籍後もトップアイドルとして活躍を続けました。

しかし1985年、突然芸能活動休止を発表しアメリカに渡りました。

約1年の休養を経て活動を再開後、アイドルではなくポップスターとして『言えないよ』『逢いたくてしかたない』『GOLDFINGER ’99』など名曲を生み出し続けます。

2014年、郷ひろみは長年所属していたバーニングプロダクションを退所しエヴァーグリーン・エンタテイメントに移籍しました。

エヴァーグリーン・エンタテイメントは、バーニングプロダクションで郷ひろみのマネージャーをしていた中田茂が立ち上げた事務所でバーニングのグループ企業です。

2015年に還暦を迎えたあとも勢力的に音楽活動を続け、積極的にロックフェスなどに参加しています。

還暦過ぎとは思えないパワフルなステージは世代を越えて観客を魅了しています。

2020年には105枚目のシングル『ウォンチュー!!!』がオリコン7位入りしました。

これにより昭和、平成、令和でのオリコンTOP10入りを果たしています。

これほど長く第一線で活躍できるのは郷ひろみの実力と努力の賜物ではないでしょうか。

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