今回は、「カナダ人のハーフ・クォーターの芸能人」についてまとめました。
マギー
モデル・タレントのマギーは、父親をスコットランド系カナダ人、母親を日本人に持つハーフです。
マギーの父親は、日本でナレーター・声優・俳優・モデルとして活躍しているイアン・ギブ。
マギーの本名は、ギブ 奈月 マーガレットです。
マギーエッチ。
ハーフの子は本当に可愛い pic.twitter.com/OojaigZmXz
— かずき (@kazuslot0921) August 28, 2019
マギーは日本の兵庫県で生まれますが、2歳の時に両親が離婚し、父親に引き取られました。
父親は生まれたばかりの弟と、娘のマギーが3歳から5歳までカナダに帰り過ごしています。
一家で日本に再び戻ってきたマギーは、小中を神奈川県横浜市の市立校に通いました。
父親の仕事柄、収入が安定しないので、少女時代のマギーの家庭は裕福ではなかったそうです。
マギーの通っていた市立戸塚校の偏差値は56~60と、それなりの市立では有名な進学校。
マギーは高校の帰り道にスカウトされますが、大学に進まなかったのは経済的な問題。
地上波テレビ「スポルト」に起用され、マギーは名前と顔が広く知られました。
女性人気のファッション雑誌「ViVi」の専属モデルを経、ドラマ・映画とマギーは活躍しています。
マリエ
モデル・タレントのマリエは、父親をフランス系カナダ人、母親を日本人に持つハーフ。マリエの本名は、玉木 パスカルマリエです。
#マリエ、紳助もハーフをタダで抱こうなんて身の程知らずな。和歌山のドン・ファンのように少なくとも百万は包まなきゃな。 pic.twitter.com/hl7vTsMBoR
— イゴロッパ (@e9rPdLxj8HVb4pK) May 9, 2021
父親は貿易業の実業家で、母親はブリティッシュエアウェイズのCAの、マリエはセレブ。三姉妹の末娘のマリエは、モデルの姉の勧めで10歳の時からモデルをやっています。
通う学校は聖心女子学院で、当時マリエは外人顔なのに日本語しか喋れない自分に疑問を感じます。子供の頃から海外旅行には慣れていたマリエでしたが、14歳でメルボルンに単身留学しました。
2005年、地上波テレビ「世界バリバリ★バリュー」にマリエが出演すると、話題沸騰。モデルとしてもマリエは女性雑誌「ViVi」、東京ガールズコレクション等のショーで活躍しました。
人気絶長期に再びマリエは、ニューヨークのパーソンズ美術大学の社会人向けコースに留学。帰国後のマリエは、自身のアパレルブランドも立ち上げ、デザイナーもやっています。
アヤカ・ウィルソン
モデル・女優・タレントのアヤカ・ウィルソンは、父親がカナダ人で母親が日本人のハーフ。本名は「ウィルソン あやか」です。
カナダのオンタリオ州トロントで生まれたアヤカ・ウィルソンは、幼少期に日本に来ています。両親の職業は非公開ですが、3歳の頃にモデルデビューしているので芸能関係者という噂も。
アヤカ・ウィルソン超かわええ!! ハーフうらやましい!
— Jimi・ス| ロ| (@jimyyuchuna0604) August 11, 2010
幼少の頃からアヤカ・ウィルソンは、CM、ポスターの仕事で活躍しています。小学生の時、アヤカ・ウィルソンは映画「パコと魔法の絵本」のヒロインに抜擢、女優デビュー。
歴代最年少で日本アナデミー賞新人俳優賞を受賞、デビュー作にしてその地位を確立させました。栃木県の宇都宮大学教育学部附属中学校に通いながら、アヤカ・ウィルソンは仕事を継続。
日本の学校に通うアヤカ・ウィルソンが英語も喋れるのは、家庭で英語も使っているのでしょう。そんなアヤカ・ウィルソンでしたが大学受験の為、仕事は一時中断、合格後は学業に専念します。
大学名や学部など非公開ですが、2008年に東宝映画「響 -HIBIKI-」で久しぶりに復帰しました。
加賀美セイラ
タレント・モデル・女優・歌手の加賀美セイラの父親は、ポーランド系の血を引くケベック人。ケベック人とは、カナダのケベック州の人口の大多数を占める、フランス系カナダ人の事です。
母親が日本人のハーフの加賀美セイラの本名は、加賀美聖良。
フランス語講座の三井シリルって美形だに~。そんで続いてできた加賀美セイラって子は可愛いな~。それにしてもほんとハーフだらけだに~。
— ニャス! (=ΦωΦ=) 野良猫 (@Ua__aU) November 10, 2010
カナダ人の父親も日本国籍を持つ実業家なので、加賀美セイラは日本で生まれています。
加賀美セイラの流暢は英語は、日本のインターナショナルスクールで学んだそうです。
そんな加賀美セイラは、2000年の13歳の時、ファッションモデルとして芸能界デビューしました。翌2001年、結婚情報誌「ゼクシィ」のCMのウェディングドレス姿で、加賀美セイラはブレイク。
J-PHONE、モスバーガー、昭和シェル石油等のCMで活躍しますが、留学の為に仕事を中断します。加賀美セイラの選んだ留学先は、父親の母国カナダの州立トロント大学でした。
留学先で思うところがあったのか、2007年に休学し帰国、歌手・俳優・タレントとして復帰。2013年頃よりメディアへの露出が減った加賀美セイラですが、現在はロサンゼルス在住のよう。
加賀美レイナ
モデルの加賀美レイナは加賀美セイラの妹で、姉と同じで日本の東京生まれのハーフ。本名は、加賀美玲奈です。
ドコモのCMに出ていた加賀美レイナが美しいので、俺はこういう西洋人顔が好きなはずはないと煩悶した。
— 小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ (@tonton1965) August 13, 2010
流暢な英語を喋る加賀美レイナですが、姉と同じで日本で習得したのでしょう。
加賀美レイナは2001年、人気雑誌 「装苑」 でモデルデビュー後、一貫してモデルをやっています。
姉、加賀美セイラと違い加賀美レイナはタレント・歌手・女優活動等は、全くやっておりません。
そんな売れっ子モデルの加賀美レイナですが、モデル活動を中断してアメリカの大学へ留学。
校名学部共に非公開ですが、加賀美レイナは帰国後の2009年7月より、モデル再始動しています。
ファッションモデルとして東京ガールズコレクションは元より、テレビCMにも多種出演。ドコモのエクスペリア、総合酒類会社眞露等のCMは有名ですね。
ジョン・キムラ・パーカー
日系カナダ人の高名なピアニスト、ジョン・キムラ・パーカーは、その名の通り母親が日本人。母親のパーカー敬子は、カナダの自宅を教室とし、長年に渡りピアノと音楽理論を教えています。
その功績で2016年、パーカー敬子はRCM(王立音楽院)よりTeacher of Distinction賞を授与。音楽教育分野で創造性豊かに、献身的かつ情熱をもって指導してきた教師に授与される賞でした。
4歳からピアノを習ったジョン・キムラ・パーカーの師匠は、実の母親と父方の叔父だそうです。ジョン・キムラ・パーカーは後に、ジュリアード音楽院で学び、世界的ピアニストになります。
カナダ人を父親に持つハーフのジョン・キムラ・パーカーは、生まれも育ちもバンクーバーです。
そんなジョン・キムラ・パーカーは、殆ど日本語は喋れないそう。
ジョン キムラ パーカー pic.twitter.com/vC1fw0UrwU
— そら☆まめのこうじえつこ (@SORAMAME_OPPA) December 20, 2013
長年、世界中で演奏活動を行っていますが、現在はアメリカのテキサス州ヒューストンに在住。
ジョン・キムラ・パーカーは、ライス大学シェパード音楽学校の、ピアノ科教授を務めています。
カテリーナ・マヌーキアン
カナダの高名なヴァイオリニスト、カテリーナ・マヌーキアンは、母親がドイツ系日本人のハーフ。
父親は西アジアのコーカサス地方にある、人口約300万人の小さな国のアルメニア人。カテリーナ・マヌーキアンの両親は、共にプロのヴァイオリニストです。
CD代わって。カテリーナ・マヌーキアンのウ゛ァイオリンでイザイ、悲劇的な詩。1861年製J・B・ウ゛ィヨーム。イザイ使用のウ゛ァイオリンで。古くは、パガニーニ、クライスラーも使用した楽器。ヒラリー・ハーンは1864年製を使用。グヮルネリを模したと言う美しい音色。
— ピアノマン (@PianoRiPiano) May 11, 2011
両親共、母国でオーケストラのコンサートマスター及び副コンサートマスター務めていました。そんな両親が結婚しカナダ移住後、トロントで生まれたのが娘のカテリーナ・マヌーキアン。
音楽一家のカテリーナ・マヌーキアンの、ヴァイオリンの師匠は当然のように両親です。カテリーナ・マヌーキアンは1994年、12歳の時にカナダ音楽コンクールに優勝しました。
小沢征爾のボストン交響楽団就任25周年記念演奏会にゲストに招かれ、北米で絶賛を浴びます。小沢征爾が日本人という事もあり、カテリーナ・マヌーキアンは日本でも有名になりました。
出口クリスタ
カナダの女子柔道家の出口クリスタは、父親がカナダ人で母親が日本人のハーフです。
父親は日本で英語教師をやっており、出口クリスタは日本生まれの日本育ち。
柔道は3歳から始め、小学生時より全国大会に出場し、中学では全国大会で好成績を残しています。出口クリスタは、松商学園高校時にはインターハイ優勝や全日本ジュニアで優勝。
高校生の柔道部の出口クリスタさんがカッコいい!(o^^o)
カナダと日本のハーフだって! pic.twitter.com/7O4ol5OZ1e— Lauren♛ (@773JB) October 10, 2013
オリンピック出場という大きな夢が、出口クリスタに芽生えてきたは、この頃だったそうです。山梨学院大学進学後、出口クリスタはスランプに陥り、心が折れる出来事が起きました。
3年時に出場した講道館杯で、後輩で大学1年生にポイントを奪うこともできず2回戦で敗退。出口クリスタは、今のままではオリンピックに出れないという失望感に苛まれる中、考えました。
父親の出身国、カナダ国籍でカナダ代表としてオリンピックに出場しようという選択肢がそれ。2017年、出口クリスタは、カナダ代表で東京オリンピック出場を目指すことが公表されました。
コメント